何のために生きるのか

神様の計画

私たちは何のために生きているのでしょうか。

目標を持って生きている人は、「このために生きているんだ」と思えるかもしれません。

でも、多くの人は何のために生きているのかと、あまり考えずに過ごしているのかもしれません。

そして、たとえ考えたとしても、結果が出るものでもないのでしょう。

結果は、死ぬときに分かるのかも知れません。

私も生きる理由が知りたくて、生きているのが辛くて試行錯誤しました。

理由がわかれば納得できて、少しは人生が楽になるのではないかと思いました。

でも、聖書を読んで、考えが変わりました。

自分が生きている理由は知らなくていいんだと納得しました。

聖書を読んだ感想は・・・

お手上げ。降参。諦め。でした。

そして、とても楽になりました。


今回おすすめする聖書には優しい言葉は書かれていませんでしたが、それでもなぜか心が軽くなりました。人間の力ではどうしようもない事がたくさんあると納得させられました。

人間がどんなに知恵を練ろうとも、確かに、神様にはかなわないのだと思います。

ただ聖書には、人間の小ささを思い知らせる言葉と、その小さい人間をとても愛してくれている言葉、両方があるのです。

私は天の下で行われるいっさいの事について、

知恵を用いて、一心に尋ね、

探り出そうとした。

これは、人の子らが労苦するようにと

神が与えたつらい仕事だ。

私は、

日の下で行われたすべてのわざを見たが、

なんと、すべてがむなしいことよ。

風を追うようなものだ。

私は、一心に知恵と知識を、

狂気と愚かさを知ろうとした。

それもまた風を追うようなものであることを知った。

実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、

知識を増す者は悲しみを増す。

天の下では、

何事にも定まった時期があり、

すべての営みには時がある。

生まれるのに時があり、

死ぬのに時がある。

私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。

神のなさることは、

すべて時にかなって美しい。

神はまた、

人の心に永遠を与えられた。

しかし人は、

神が行われるみわざを

初めから終わりまで見きわめることができない。

私は知った。

人は生きている間に

喜び楽しむほか何も良いことがないのを。

また、人がみな、食べたり飲んだりし、

すべての労苦の中に

しあわせを見いだすことも

また神の賜物であることを。

伝道者の書2:13、14、17、18 

 3:1、2、10~13

聖書 新改訳 日本聖書刊行会より引用