十字架の意味

なぜイエス・キリストは十字架につけられたのか

イエス・キリストが十字架に付けられたのは、私たち人間ののためだと言われています。

では、人間にはどんな罪があるのでしょう。

聖書には、十戒として、人間に「してはならないこと」を告げています。

その中には、「殺してはならない」、「盗んではならない」という、

当たり前の内容もありますが、一方で、嘘を言ってはならないとか、人のものを欲しがってはならないという、誰でも経験があるようなことも含まれています。

人はどんなに潔く、正しく生きようとしても、人をうらやんだり、嘘とをついたりしてしまいます。

そう考えると神様から見た人間は、皆、生まれながらに罪を持っているのです。

そんな私たち人間のためにこの世に来たと、マルコの福音書10:45で、イエス自身が言っています。

人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。

贖い(あがない)とは、普段は使わない言葉ですが、聖書ではよく出てくる言葉です。

辞書を引いてみると、

『罪や過ちのつぐないをすつこと。また、そのために差し出すもの。』と書かれていました。

ということは、イエス・キリストは、

多くの人の罪や過ちのつぐないのため、自分の命を差し出すためにこの世に来て、十字架に付けられたのです。

まことに、

彼は私たちの病を負い、

私たちの痛みをになった。

だが、私たちは思った。

彼は罰せられ、神に打たれ、

苦しめられたのだと。

しかし、彼は、

私たちのそむきの罪のために刺し通され、

私たちの咎のために砕かれた。

彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、

彼の打ち傷によって、

私たちはいやされた。

私たちはみな、

羊のようにさまよい、

おのおの、

自分かってな道に向かって行った。

しかし、主は、

私たちのすべての咎を彼に負わせた。

イザヤ53:4~6

聖書 新改訳 日本聖書刊行会より引用