人間の価値観と神様の価値観

神様に喜ばれること

この世で生きていると、どうしても人間の価値観に縛られてしまいます。

お金、外見や世間体など…。

人間には色々な欲望があって、時代や流行によってもその価値観は変わってきてます。

だから、人間の価値観に影響を受けすぎでしまうと、それに振り回されて疲れてしまいます。

何を基準に生きていけば、楽に生きていけるでしょうか?

世間がなんと評価しようとも、普遍的で変わらないものが、神様であり、神様の愛です。

私たちがどう生きているか、神様は見ています。

行動、言葉、心までも見ています。

神様の前では、人間はみな罪人です。

ですから、人には、人を裁く権利はないのです。

罪人が罪人を裁けませんから、神様から見ると人が争っている姿は滑稽かもしれません。

人と比べることを止めてみる。

これは、とても難しいことかもしてませんが、それが出来ればとても楽に生きられると思うのです。

人を見ないで神様を見てみてはどうでしょう。

「神様に喜んでもらえるような人間になりたい」

そういう気持ちで生きていくとどうなるでしょう。

人と争っている場合ではありません。まずは自分がまともな生き方しなければいけません。

自分の成長のために時間を使わないと、時間が足りないことでしょう。

神様の目で自分を見てみると、とても小さい世界で人と比べて生きていることと思います。

ひと時でも人の価値観から離れて、神様からの視点で生きてみると、まったく違う世界が見えて、世間に振り回されずブレずに生きていく事も出来るのではないでしょうか。

イエスは彼らに言われた。

あなたがたは、

人の前で自分を正しいとする者です。

しかし神は、

あなたがたの心をご存じです。

人間の間であがめられるものは、

神の前で憎まれ、

嫌われます。

ルカの福音書16:15

聖書 新改訳 日本聖書刊行会より引用




心のきよい者は幸いです

神様に喜ばれる人

神様に喜ばれる人とはどういう人でしょう。

聖書では、どういう人が神様に受け入れられるのか、明確に書いています。

人は誰しも神様に嫌われるより、好かれたい。そして、もっと言うと愛してもらいたいと思うのではないでしょうか。

神様に好かれる人とはどんな人でしょうか。

やはり、清く正しく生きる事だと思うのですが、いつもそういう生き方をできる人はいないと思います。

清く正しく生きられないから、神様への道は遠いのです。

人にとってその道はどれほど大変なものか、聖書ではこう表現しています。

『狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。

そして、そこから入って行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。』

マタイの福音書7:13,14

正しい道を進もうとすることは、大変なことです。

まずは何が正しい道かわからないといけません。

正しい道を知れば知るほど、正しく歩めないことが苦しくなるかもしれません。

ですが、これが神様が求めていることなのかもしれません。

人が正しさを求めてひたすら努力し、できない自分に憂い悲しむこと。

人の弱さを知り、互いにいたわり合うこと。

清く正しい道を歩むとき、ときに 迫害され、ありもしないことで悪口を浴びせられるかもしれません。

ですが、それが神様に喜ばれる道なのです。



正しいと思う道を行きたいけれど、それが険しくてつらいと思う方へ。

真面目に生きることは大変ですが、いつも神様は見てくださっていて、私たちの思いや行いに報いてくださいます。

そこで、イエスは口を開き、

彼らに教えて、言われた。

心の貧しい者は幸いです。

天の御国はその人たちのものだから。

悲しむ者は幸いです。

その人たちは慰められるから。

柔和な者は幸いです。

その人たちは地を受け継ぐから。

義に飢え渇く者は幸いです。

その人たちは満ち足りるから。

あわれみ深い者は幸いです。

その人たちはあわれみを受けるから。

心のきよい者は幸いです。

その人たちは神を見るから。

平和をつくる者は幸いです。

その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

義のために迫害されている者は幸いです。

天の御国はその人たちのものだから。

わたしのために人々があなたがたをののしり、

迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、

あなたがたは幸いです。

喜びなさい。

喜びおどりなさい。

天ではあなたがたの報いは大きいから。

マタイ5:2~12

聖書 新改訳 日本聖書刊行会より引用