神様は何をしてくれるの?

不安な世の中で、神様は何をしてくれるの?

人生、生きていると色々な事がありますよね。自分自身の事もさることながら、事件や事故など、毎日のニュースで流れてきます。

悲惨なニュースを見ると、神様はどうしてこんな理不尽な事をなさるのだろうと思います。

何の理由があって、こんなことになるのだろうと、悲しくもなります。

私は、子供がまだ小さいとき、子供たちに何かあったらどうしよう…と、無性に不安になったことがあります。

自分の力や努力だけでは、子供たちを守り切れない世の中です。人間の力が及ばないことに無性に不安を感じました。

この聖書の言葉を知ったとき、怖くもありましたが、一方で安心もしました。

どうなっても、それは神様が決めたこと。

とりあえずは、今できる事、精一杯を頑張ろうと思いました。

頑張ったあとには、神様に委ねてみるのはいかがでしょうか?

いま、見よ。

わたしこそ、それなのだ。

わたしのほかに神はいない。

わたしは殺し、また生かす。

わたしは傷つけ、またいやす。

わたしの手から救い出せる者はいない。

まことに、わたしは誓って言う。

わたしは永遠に生きる。

申命記32:39

聖書 新改訳 日本聖書刊行会より引用



何のために生きるのか

神様の計画

私たちは何のために生きているのでしょうか。

目標を持って生きている人は、「このために生きているんだ」と思えるかもしれません。

でも、多くの人は何のために生きているのかと、あまり考えずに過ごしているのかもしれません。

そして、たとえ考えたとしても、結果が出るものでもないのでしょう。

結果は、死ぬときに分かるのかも知れません。

私も生きる理由が知りたくて、生きているのが辛くて試行錯誤しました。

理由がわかれば納得できて、少しは人生が楽になるのではないかと思いました。

でも、聖書を読んで、考えが変わりました。

自分が生きている理由は知らなくていいんだと納得しました。

聖書を読んだ感想は・・・

お手上げ。降参。諦め。でした。

そして、とても楽になりました。


今回おすすめする聖書には優しい言葉は書かれていませんでしたが、それでもなぜか心が軽くなりました。人間の力ではどうしようもない事がたくさんあると納得させられました。

人間がどんなに知恵を練ろうとも、確かに、神様にはかなわないのだと思います。

ただ聖書には、人間の小ささを思い知らせる言葉と、その小さい人間をとても愛してくれている言葉、両方があるのです。

私は天の下で行われるいっさいの事について、

知恵を用いて、一心に尋ね、

探り出そうとした。

これは、人の子らが労苦するようにと

神が与えたつらい仕事だ。

私は、

日の下で行われたすべてのわざを見たが、

なんと、すべてがむなしいことよ。

風を追うようなものだ。

私は、一心に知恵と知識を、

狂気と愚かさを知ろうとした。

それもまた風を追うようなものであることを知った。

実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、

知識を増す者は悲しみを増す。

天の下では、

何事にも定まった時期があり、

すべての営みには時がある。

生まれるのに時があり、

死ぬのに時がある。

私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。

神のなさることは、

すべて時にかなって美しい。

神はまた、

人の心に永遠を与えられた。

しかし人は、

神が行われるみわざを

初めから終わりまで見きわめることができない。

私は知った。

人は生きている間に

喜び楽しむほか何も良いことがないのを。

また、人がみな、食べたり飲んだりし、

すべての労苦の中に

しあわせを見いだすことも

また神の賜物であることを。

伝道者の書2:13、14、17、18 

 3:1、2、10~13

聖書 新改訳 日本聖書刊行会より引用



神のわざがこの人に現れるためです。

なぜ自分だけ辛い思いをするのか

なぜ自分だけ大変な目に遭うのか、理由が知りたいと思ったことはありませんか。

なぜ生きているのだろうとか、生きている意味を考えたり、自分には生きる価値があるのだろうか・・・とか。

悩むときは誰しもあるかと思います。

私は子供のころから、何事も深く考えたり、悩んでしまうタイプでした。

何か失敗をしたとしたら、何が原因で失敗したのか考えて、二度と同じような失敗はしないように気を付けます。

原因と結果はいつもセットになっているもので、原因や理由が分からないと納得できませんでした。

私が子供のころから納得できないこと。

それは、なぜ私だけ脱毛症なのか・・・

周りの人は髪があるのは当たり前だと思ってるけど、私には、当たり前のものがない

理由を考えて、心も体も健康になれるように頑張ってきましたが、脱毛症は私から離れてくれませんでした。

「一生懸命、ただ真面目に生きてきただけなのに。なんで…?」

と思いました。

聖書には、こう書いてありました。

『天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、

正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。』

   マタイの福音書5:45

たしかに、人生ってそんなもの…。

良いことをしたからって、良い事ばかりあるわけじゃありませんよね。

悪いことも起きる。

もっと大変な思いをしている人は、この世にはたくさんいる。

それぞれに大変な思いをして…、でもみんな、何とか生きてる。

私たちが、こんな風に生まれて、いろいろな思いを抱えて生きている理由は、神様しか分からないのでしょう。

なぜ? の答えを期待して、神のわざが現れるのを待ってみませんか?

「先生。

彼が盲目に生まれついたのは、

誰が罪を犯したからですか。

この人ですか。

その両親ですか。」

イエスは答えられた。

この人が罪を犯したのでもなく、

両親でもありません。

神のわざがこの人に現れるためです。

ヨハネの福音書 9:2,3

聖書 新改訳 日本聖書刊行会より引用


苦難のときの聖書のことば

試練に耐えられないとき

人生は試練の連続。

なぜこんなにつらい事ばかり起こるのかと、神様を恨みたくなる時もあると思います。

他の人にとっては苦でない事でも、自分にとってはとてもつらい経験ということもあります。

「耐えられる人にしか試練は与えられないんだよ。」とよく言われたりしますが、本当でしょうか。

これは、神様の言葉として聖書にちゃんと書かれています。

そして、安心する言葉も。

あなたがたの会った試練は

みな人の知らないものではありません。

神は真実な方ですから、

あなたがたを、

耐えられないほどの試練に

会わせることはなさいません。

むしろ、

耐えられるように、

試練とともに脱出の道も備えてくださいます。

Ⅰコリント 10:13

聖書 新改訳 日本聖書刊行会より引用